プロフィール

1977年(昭和52年)0歳 4月28日 青山家の長男として生まれる。

小学校6年生まで、明治生まれの祖父の布団で一緒に寝るようなおじいちゃん子でした。

1990年(平成元年)12歳 岡崎市立福岡小学校 卒業

小学2年生の時に岡崎ラグビースクールに入りました。
高学年になると祖父の畑仕事を手伝うこともあり、耕運機や車刈り機の使い方も教えてもらいました 。

1993年(平成5年)15歳 岡崎市立福岡中学校 卒業

中学では野球部に入りキャプテンとしてチームを牽引しました。 毎年冬には前項から駅伝選手に選ばれ、3年間1区を任されました。 3年時には、駅伝部でもキャプテンになりました。 また同じく3年時に生徒会長も勤めました。

1996年(平成8年)18歳 愛知県立岡崎高校 卒業

高校時代はラグビーに熱中し、3年の時にはキャプテンになりました。 国体出場・県代表選出を目指していたのですが、顎の複雑骨折や肩を脱臼など、怪我に泣かされ、入院生活を余儀なくされました。

2000年(平成12年)22歳 法政大学 社会科学部 卒業

高校時代同様にラグビーに取組み、大学3年の時には、念願のファーストジャージを着ることができました。 故障した仲間のために、自身の経験を活かしメディカルとして働くこともありました。

2000年(平成12年)株式会社ジェイアール高島屋 入社

政治は「人」だという考えから、より多くの人と接する職場を選びました。 配属された売り場は「和食器」。 窯元に勉強に行くなどし、日本各地の職人と出会いました。 和食器のみならず、職人のもつ技術の奥深さに魅了されました。

2001年(平成13年)学校法人 青山学園 入社

自ら幼稚園バスを運転し、園児や保護者に寄り添う園を目指しました。 園児には地元のおいしい米を食べてほしいと思い、コメ作りに挑戦。 自作のコメで園児の給食をまかなうようになりました。 その後、園長、事務長など歴任。

このころ政界の師となる杉浦正健先生(元法務大臣)と出会い、正健先生の人間性、高潔さに感銘を受け、正健先生の政治塾(ポセヤ)にも参加。 志を同じくする仲間たちと出会うことができました。 またこの頃から、愛知政治大学院に通い出し、政治家として様々なことを学びました。

2001年(平成13年)結婚

高校時代の同級生と結婚。 2003年には長男が誕生。その後、二男、長女、三男が誕生し、3男1女の4人の子の父となる。 現在、一家8人の大家族で暮らしている。

2011年(平成23年)33歳

2009年の45回衆議院議員総選挙において、正健先生が政界引退。 2011年の自由民主党の支部長公募に立候補、自民党愛知県第12選挙区支部の支部長に就任する。

2012年(平成24年)35歳 第46回衆議院議員総選挙 当選(小選挙区)初当選

当選後は、文部科学委員会に入り、自身の政治理念である「教育再生」に積極的に取り組む。 勉強会や議員連盟、部会など様々な会合に参加し、多くのことを学びました。 

2014年(平成26年)37歳  第47回衆議院議員総選挙 当選(比例代表)2期目

2期目は、議員立法(政府ではなく、議員が提出する法案)の教育機会確保法を成立させました。 議員立法の成立率は約2割と言われ、成立させることが非常に難しいのですが、仲間の協力や今まで学んだことを大いに活用し成立させることができました。

2017年(平成29年) 40歳  第48回衆議院議員総選挙

104,811もの票をいただくも落選。 (得票数は落選した議員の中で全国4位) 落選後は今まで時間がなくて出来なかった活動も行っています。 ポスターも笑顔のものに一新しました。

2019年(平成31年)42歳 繰り上げ当選(比例代表) 3期目

皆さま方のご期待に応えるべく、初心を忘れずに全力で国政に取り組み、地域の声を国政に届けます。

2019年(令和元年) 42歳  文部科学大臣政務官他3政務官に就任

文部科学大臣政務官、内閣府大臣政務官(東京オリンピック・パラリンピック担当)、復興大臣政務官の3政務官を拝命しました。

2021年(令和3年)44歳 第49回衆議院議員総選挙 当選(比例代表)4期目

まずは自分が変わらなきゃ。 新しい時代にマッチしたスリムな政治を目指します。

2023年(令和5年) 46歳  文部科学副大臣に就任

第2次岸田第2次改造内閣において文部科学副大臣を拝命しました。

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